最近文章について、自分なりに色々考えることがあったので、ぼんやりとした思いを書き留めてみる。
ネット、XとかYouTubeのコメント欄とかの文章。実際にやってもいないけど「~して泣いた」「~~で爆笑」といって締めるパターンが多い。きっとその文字を打ち込んでいるときは真顔。当たり前だけど。
私も書くことがある。「~~していてすごい」「~~で感動」とか。気軽にかいてしまう。違和感を覚えつつも、表したいのは「賛成」や「愛」だから、一番文章にしやすいというのもあった。
ただ、これは許せないと思うのは、人への悪口や皮肉を書いて最後に「~~で好き」と書くこと。これは「好き」ってかくことで前の文章の毒を中和しようとしている、自分の言葉の責任を逃れようとしているようにどうしても見えるのだ。
まあ、50歩100歩だけど・・・。
しかし、やはりそういう文章は自分の中に本を読んでいないことへの自覚がないことの表れなのではと最近、気付かされた。
私は、全然最近本を読んでいない。学生時代は、図書館に通い過ぎて、高校卒業したときに図書館の方にスカウトをされたことがある。浪人生活に突入したので、じゃあだめだねと言われたけれど・・。
そんな私は、ずっとねっころがって5chまとめサイトを読んで、YouTubeを見ていつの間にか眠る生活を10年以上続けている。
これで自分の中の何かが癒されるなら、それでもいいと思うけど、こういうブログを書いたり、文章を書くならば。文章に向き合う人が共通に持つ「良い文章」にタッチするためには、そのままじゃだめだよねと、中年の今になってようやくベッドから起き上がった次第である。そういう文章を書く人の言葉を最近聞く機会があり、感化されたというのが大きい。
私自身「バズる」文章が良い文章、だから刺激的な分かりやすい言葉を書くことがよいことだと思っていた。
同時に、それはどんどん言葉を空虚にすることも、少しだけ気が付いていたけれど。なかなかうまくそのもどかしさが表現できなかった。
なので、まず書いてみる。なるべく、正直に。自分に正直に書いてみようと思う。
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